ちいさな工房の毎日を綴ります。
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「ふつうの木工家?のふつうの日々」

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2007年01月18日

ちょいカッコイイ普通の冷蔵庫

ちょいカッコイイ普通の冷蔵庫が届いた。
デザインは過度に足していくということではないことを教えてくださった恩師の、過去と現在とこれからをひっくるめた現時点での秋田道夫のカタチがそこにある。

この冷蔵庫が発売される経緯については、秋田先生のWeblogや『form room』でお話をお伺いしており、発売後、近所のジャスコにも見にいっていたのであるが、如何せん、ひとり暮らしのかたをターゲットとしたサイズなので、家で使うにはさすがに小さいし、そもそも、つい最近、買い換えたばかりだし……と思って見ていたところ、数日前、材木屋の事務所の冷蔵庫が壊れてしまったのである。
モノがひとつ壊れてしまって、リサイクルやらなんやらで余計な出費も増えるので、グットタイミングとは言いきれないのであるが、内心ほくそ笑みながら、サイズもちょうど良いし、お値段もお手頃ということを切り口に薦めて、早速、購入という次第。

一口で言ってしまえば、シンプルなデザインなわけであるが、ジャンルが違えど、自分もそういうカタチ、モノづくりを指向して精進し、ライフスタイルとしても提案する人間のひとりとして、常々、思考している訳であるが、ふと最近、普通のカタチ、シンプルなカタチとデザインの関係について、例えとして思ったことがある。

デザインにおけるそれというのは、赤ちゃんの持つピュアな無垢さではなく、老成して無垢になるということではないだろうかということ。

基本となるアイディアから、プランを練り、スケッチを重ね、それにまた実務や人生の経験、蓄積やそこからくる直感なども練り込まれ、足すだけ足して、そしてそこから必要最小限、最大公約数となる要素を抽出し、あえて無垢となす。
漠然とシンプルとひと言でいってしまっても、そこにあるカタチの深さがそれぞれ違ってくるように思う。
カタチの深さというのは、全体とディティールのバランス、使い勝手や用としてのカタチ、それ以外にも、開発から生産までの経緯等々、あえていえば思想、哲学的なことまで、見えるところ、見えないところまで全部ひっくるめてそのカタチを形成することで感じさせられるのではないだろうか。

自然界に見られる美しいカタチというのは、環境や状況に合わせて、いく年もの進化のプロセスを経て、研ぎ澄まされてそこに至ったものであることも似た例えかもしれない。

この冷蔵庫についていえば、『プロダクトデザイナー秋田道夫』という存在を現時点で知ろうが知ろまいが、普通に美しい暮らしを好む購入層のかたであれば、しごくアイコン化された冷蔵庫として、今、売り場に並ぶ冷蔵庫を見れば、ごく自然に選択肢に含まれることは、想像に難くない。
あえていってしまえば、バカ売れすることはないのかもしれないが、このカタチで長く売られ続けることでのメリットも想像できる。
無駄にモデルチェンジする必要がなくなれば余計な投資が減り、飽きられなければ、無駄に使い捨てられることもなく。かといって、このサイズのメインターゲットである独身者が世帯を持てば、適当な時期に買い換え需要も生まれる。

余談になるが、そういった意味でも、『ハイアール』というまだまだ日本では一般に名の知れていない中国のメーカーの冷蔵庫ということで、価格帯や、ターゲット層を含めても、冷蔵庫にメーカーやブランドということをあまりこだわらない購入層に向けられているという点は、マーケティング的にも考慮されているのではないだろうか。

あのホワイトボードに一見こともなげに描かれる線は、無から生まれるものでもなければ、天から降ってくるものでもないということ。
かといって、そういうことを必要以上に大仰にモノに語らせない。

普通というのは、そういう様々なプロセスを経て、普通になること。
表層のラインを追って、デザインを語るべきではないということを、あらためて思い知らしめてくれる。
折れそうなときは、冷蔵庫に向かって相談事をしてしまうかもしれない……。

ちょいカッコイイ普通の冷蔵庫であるが、自分にとってはそんな冷蔵庫でもある。
冷蔵庫かく語れリな、今日はそんなとこ。

投稿者 KAKU : 2007年01月18日 23:59

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