ちいさな工房の毎日を綴ります。
題して
「ふつうの木工家?のふつうの日々」

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2005年01月10日

連休モード

半日、事務所で過ごし、お昼過ぎから買い物へ出かける。
晴れ着のお嬢さん方を見かけて、成人の日だったと気づく。(じゃあ、こんな時期になんの祝日なんだ!?)
今年の成人式は一部を除き沈静化だったらしい。(ネットニュースより)
沈静化っていう表現をされる成人式もどんなもんなのか?
確かに自分たちの成人式の時も、なんだか同窓会みたいな雰囲気で盛り上がり、講堂でのお偉いさんの話なんか一切聞いてなかった。
成人式を境に社会人…というのであれば、
自らを思えば、地域とか社会というのを意識しだしたのは、家庭、特に子供を持ってからかもしれない。(といいながら、仕事にかまけてそういうのはほったらかしなんだろ!?)
未だに精神的には成人できてないという評価も受けてしまうし…。

核家族、少子化、晩婚、第一子の出産年齢の高齢化等々
比較的、地域社会などに対し考える方向にあるように思っていても、それとの繋がりが薄れていく要因のようなもの自体が増えていく傾向に歯止めがかかっているようには思えない。
また最近の異常な犯罪を犯す犯人が、同世代の独身男性であったりすることを顕著に感じるのは、自分が神経質で過敏に反応しすぎているせいだろうか…?
複雑系なことをなんでも社会環境のせいにしてしまう訳にはいかないが、どうもそういう風には思えない。

増えすぎる人口に対し、自然の抑止力が働いているという少し前向きな考え方もできなくはないが、少し先に待っているのが極端な高齢化である。

悪い悪いといって過度に不安を煽ること、もしくは目をつぶって放っておくことは、たぶん刹那を生きる分には都合がいいかもしれない。
なぜ生まれて、なぜ生きるのかということを考える。
前を向けば先祖がいて、後ろを向けば子孫がいる。
その間で、バトンを握って走っているのが自分たちだとすれば、コースを選んで走りきり、バトンを繋ぐ責任があるように思う。
奇麗事だといわれることを実行するのは、容易いことではないし、できないことが多いかもしれない。
しかし、だからとそれでやめてしまったら、諦めてしまったら、話すことすらやめてしまったら…、すべておしまい。

成人式の話から、かなり飛躍してしまったが、奇麗なおべべ着せてもらって、はしゃぎたくなる気持ちもわかるけど、式なんていってやるほうもやられるほうも、なんかカタチばっかりなのな…。
よくよく思えば、こんなことをわかったように話せる人間ではない自分がここにいる訳だが。
饒舌すぎた…すみません、今日はそんなとこ。

投稿者 KAKU : 2005年01月10日 23:59

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